まずは宗教の定義なのだが、

『日常的に、自分が幸福になるために意識している事。』とした。

さて、そうだとするなら、
今の日本では、みな幸せはどこから来ると考えているのだろう?

親や、学校、友人、先輩、街や田舎の人々は、いつも何を語りかけてくるだろう?

親は勉強しろとうるさい。

教師たちもそうと言える。

何故だ?

もちろん親と教師が同意見だとしても、

意図は違う

 

色々あるとしても、まぁ性善説的に考えよう。

そうだ。

子供に幸せになって欲しいのだ。

すわ!なんともう答えが出たか!??

いや、違うね。

勉強は目的じゃない、何かの幸せをゲットするための手段なのだ。

 

それは安定した収入を得られるしくみ、就職だ。

日本の宗教は、安定した収入による豊かさとか時間の余裕。

豊かさを作るものは沢山ある、
しかし日本ではそれがあまりにもお金に一極集中していて、
お金が幸せになるための崇拝対象になっていると思うぐらいだ。
もちろん、映画鑑賞、色々スポーツや趣味などあるだろう。
そしてそれを崇拝する人もいるのだろう。

でも反対を考えると、一番カジュアルに恐れているものも、
死以外では、破産や貧乏なのではないだろうか?
豊かさ貧乏への感情のほうが、神より仏より強いなら、
やはりお金を神として崇拝しているのだと否定しがたくなってくる。

億万長者専門学校をやってる僕としてはお金は大切だと分かっているし、
まさか、ほんのちょっとの過小評価するつもりもない。

しかし、安定した豊かさが宗教になってしまっている日本では、
神も仏も何もない。

日本の宗教は豊かさと自由な時間であり、
その本尊は、お金なのだと思う。

 

スパイラルダイナミクスで言うと、
生活の豊かさはレベル5とレベル6が混在し
心の豊かさはレベル2なのが今の日本人なのかも知れない。

心(感情)が人生そのもの。
感情の豊かさがレベル2では寂しいものだ。

もっと怖い事にチャレンジして行こうぜ。

クリス