成功する人となかなか成功しない人に一番の違いは何かと聞かれた。
ん~~。
天賦の才能や、環境、体格や、生まれつきの価値などを別にしたとしたら!?
二人の人がいて、現在のその人達の価値(まぁ計りにくいので仮定の話)がほぼ同じだとして、
どんな人が成功しやすいか?!
行動が早い、決断力がある? 対人能力、人脈??
色々あるけれど、僕が思いあたるのは、結局一つの事に集約される。
それは、本当に良く言われる事だし、みんなも聞いた事あるだろうと思う。
それは、
「素直な事!」
良く聞くよね。
僕も過去に成功者の人の話で
「成功の秘訣は?」「素直な事だね。」
というのを聞いた事がある。
その時は、
「ふ~~ん。」なるほどね。やっぱい人間素直が一番か!!
と思いながらも、
実際全然リアリティーがなくて。
「つーか、素直ってどういう事?」みたいに思ってた。
でも、今は、自分も
「成功の秘訣は??」「素直な事!!」って言ってる。
だから今日は「素直な事ってなんなのさ!?」という事で、
もっと多くの人にもわかるように具体的な例などで
「素直って何だ?」という事を考えて見ようと思う。
「素直」って、「信じる力」がある。というか「疑わない力」
(もちろん色々な意味で自分の過去の思い込みなどを疑う事は、重要だ。
また疑う事は信じる力の欠如から来る恐れが引き起こす事もあるから
一言で全部の状況を説明できる訳じゃない事はわかってる。)
疑わないと、人はすごい力が出るし成長もものすごい著しい。
「明快さは力」とアンソニーが言っている通りだろう。
もちろん疑わない事で損をする事もあるだろうし、
何でも鵜呑みにしよう!っていう変な宗教でもない。
でも結局、
「疑い深くて失敗が少ない人よりも、
疑念に振り回されず、たまに間違っても、一直線に何かを習得する人のほうが、
その過程での失敗を含めても、長い人生では成功する確率が高い!」
と思うのだ。
詰まるところ
◆守 破 離◆
なのだ、
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「守破離(しゅはり)」とは、能楽を確立した世阿弥の教えと言われてる。
ここからは僕の解釈だから、違う意見を持つ人もいるだろうけれど、
意味としては、
守)
最初の基礎を作る時期。自分らしさとかオリジナリティーなどのアレンジ工夫は一切なしで一通り教わった通りにできる用になる。柔道、剣道、書道などでは、一級~一段(プロフェッショナルレベル)など、黒帯程度にまではなる事「私ならこうするような事」でぶれたりしない。5年程度
師匠の価値観と、選択基準を学び、自分がその流派で一人前になり学びを忠実に受け取り、
その流派の継承者としてふさわしい人になる。
師匠から「お前には教える事がなくなった。」と言われるようになってくる。免許皆伝レベル
破)
基礎の部分が確実になり。どの部分がアレンジを加えてもいいのか、どこの部分はアレンジしてはいけないのかの理由や意図、本質的なバランスが心と体に染みつくぐらいわかる時期。ぶれたり、変化しない程度に、自分らしさや個性を生かしたアレンジを作り始める。二段~四段(ベテランとして人に教えられるレベル)5年程度
その流派の継承者レベルになって初めて、応用部分に独自の工夫を加える。
その工夫の実践と検証をある程度続ける間に、量が質をうみ、独自の応用技術を編み出す。
師匠から「お前独自の技を編み出す時期が来た」と言われる。
離)
自分自身が道場を開いてもおかしくない程度の実力がついてから、自分の個性の故にこの一部分では師匠を越えるであろう部分を生かし、伸ばし、高レベルで新たな技を完成させる。五段~八段(プロを教育できるレベル、新たな流派を作り出せるレベル)
そしてその技が増え、師匠からの基礎が揺らがないレベルで、別の流派や異質の文化などと組み合わせて新しい流れを産み出し、やがて新しい流派ができる。そして師匠の流派に匹敵する流派を作りあげた時、一つの流として認められ、一流となる。5年~15年程度
師匠の流とは違うが世に必要とされる別の魅力を身につけ、
その流派を継承する人になるか、新たな流派を産み出す必要があるかの選択を迫られる。
師匠に「お前は、自らの道を究めよ」と言われる。
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多くの人が、最初の「守」さえも終わっていない時からオリジナルを望む。
僕も、色々な人から「これとこれを合わせた新しいものを作りたいんです。
自分らしくアレンジしたものを作りたいのです。」
という話を良く聞かされる。
ほとんどの場合、まだどちらも極めていなくて、単なる自己満足に聞こえる。そしてそんな流派が広く広がっていく事もないようだ。
あなたは、誰かが、
「柔道とフラメンコを合わせたものを作りたい」といって
作りあげた物を見て。
実際に高度なレベルで統合された芸術的と思えるものを見たら、
もしかしたら学びたいと思うかも知れない。
でも誰かが、
「柔道白帯8級です。フラメンコもまだ習って2ヶ月です。」
というような人の弟子になったり、入門したくなる魅力を感じるだろうか?
作品も完成度など求められやしない。
これが守破離の「守」さえもできていない人の多くが陥る罠なのだ。
素直な人は、ぶれる事なく「守」を完成させられる。
自分らしさ、個性は、そんな基礎がしっかりできた時、
変えていい部分、変えてはならない部分の違いがわかるようになって
初めてアレンジを加える基礎が出来たという事なんだ。
素直な人は、その「守」の時に、
師匠の教えにちゃんと屈服できる。素直に降伏していられるのだ。
この「屈服」やら「降伏」が結構大事なのだ。
どちらかというと、あんまり自由でもワクワクもしそうもない言葉だ。
でも「素直」という強力なウェポンを身につけるには最初に必要なメンタリティーなのだ。
一心不乱に脇目もふらず、一つの事に集中するためには、師匠の教えに屈服し降伏しているのが
お得中のお得なのだ。
やんちゃなアレンジ気分は、
基礎がしっかりできてからにした方が圧倒的に早い。
これはなまじ「もの覚えが早い人」や「人一倍才能がある」おかげで
結局大成しない95%の人達が陥りやすい罠だ。
基礎が出来ていないうちに、結果を早くほしがるから、
もし一時は脚光を浴びても、すぐに衰退してしまう。
物覚えが早く、早い内に認められてしまいがちな人は、
時間のかかる基礎編が面倒で、退屈ですぐにサボってしまいたがる。
柔道や空手の型の練習も、面倒で退屈になりがちだ。
でも、その型の多くは実戦から考え抜かれていて、1、2、3、4、という動きを
体が無意識にしてしまうようなレベルにまで練習していると、
実戦で相手と高度なレベルで実力が拮抗している時などに起こるのだが、
相手の動きを見て体を動かすには間に合わないレベルになってきて、
相手の動きに合わせて動くと、1、2、までしか対応できない時も、
相手のちょっとした動きで練習してきた型が自動的に出てしまって、
1、2、3、4までの動きが出てしまうのだ。
ここまで作りあげるのが「守」
そしてこの「守」を最も早く完成させるためには、
素直に、教えに屈服し、自分の考えを降伏させる事が重要になる。
これを自然にできる人が「素直」な人なのだ。
あなたが選んだ流の師匠に対して、素直でいられる事は、
あなたの成功を劇的に加速し、あなたのオリジナルのブランドを強く
応援されながら成功する最大の資質なのだ。
ただしもちろんあなたがコミットメントを持ってその流を選んでいる必要がある。
色々見てみるのもいいが、これだ!これを習得しよう!と思ったら、
のめり込み、はまり込み、しっかりとその流の守、破、離、少なくとも守のレベルは
習得してしまうのが、お得なのではないかと思う。
これが素直の強みの真実。
ここまで理解し納得して、僕は今、
やはり「素直になれる人は強い」と思える。
自分のアイデンティティーに確信があればあるほど、素直になりやすいのだ。
確信がないなら、まず素直になってみたらどうだろう?
あなたにとって「素直になる」(屈服し降伏する事)への恐れはなんですか?
でもこんな事を書くと、頭の固い、自己正義が強く、幸せより正義を選ぶタイプの人は、
「絶対に屈服だけはしたくない!」
みたいな柔軟性のない事思っちゃうだろうね。
自分に自信がある人は屈服なんて全然意に介しない。
自信がないから屈服なんて言葉に敏感に反応するんだけどね。